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「ステレオ芸術」82年12月臨時増刊号

 冬のヨーロッパ  

 音を求めて(4)

 パリ→ミラノ→ウイーン

由井啓之 


●ウィーンの年末年始

 いよいよ大みそか、初めて外国で迎える正月。キリスト教国の正月は大した行事はないもの、と思い込んでいたのですが、ウィーンの正月は魅力的な行事がいっぱいでした。
 大みそかの朝はまず、朝もやのマルクス墓地にモーツァルトの墓を訪ねました。中央墓地にもモーツァルトの墓がありましたが心情的にはこちらの方が本物のような気がします。失意と貧困の中で死んだモーツァルトは会葬者とてなく、共同墓地へ葬られたとのことです。後に共同墓地からそれらしい頭蓋骨を探し出して造ったのがこの墓だとのことです。悲しみに沈む天使像が天才の不遇の死を考えさせ、深く心を打ちます。苦しみの中から生れた、苦しみを知らないような明るい音楽こそ、真に苦しむ人々をなぐさめ得るのでしよう。
 「ウィーンの森の物語」のウィーンの森はカーレンベルグの丘、そして、ドナウ河を訪ねました。シュトラウスの名曲「美しき青きドナウ」に
 Halt'an deine Fluten bei Wien' Es liebt dich ja so sehr,
 (ウィーンに来たら流れを止めなさい、ウィーンはお前をこよなく愛しているよ)と歌われています。ウィーン市民は親切で、立ち止って地図を見ていると寄って来て案内してくれます。知らない人と道ですれ違っても、にっこりと挨拶する習慣は、日本では全く考えられないことだけに、大変心温まる思いをしました。
 20数年も前、高校生の頃、「第三の男」で何度も見た少し暗い感じのウィーンはもうなかったのですが、あのツィターの音を聴きたくてアントン・カラスがやっているはずのホイリゲ(居酒屋)を探したけれど見付かりませんでした。先日、文芸春秋誌で「滅びのチター師」という記事を読みましたが、アントン・カラスの音楽とその店が、ウィーンから消えた理由、彼のツィターが我々東洋人の心にも強烈な感動を起した理由が分りました。一読をお薦めします。
 郊外に「ハイリゲンシュタットの遺書」で有名なベートーベンの家を訪ねました。耳の病が重くなったベートーベンが移り住んだ家です。遺書のコピーと和訳を求めました。
 「おお、お前達、私を意地悪で、気狂いじみた、または人間嫌いな者だと思って……」に始って、「私の傍の人には遠くの横笛が聞えるのに、私には全く何も聞えず……」、「死……私を思い留まらせたのは芸術である……」そして「おお、それはあまりにも残酷です」で終る涙なくしては読めぬ遺書が、この小さな部屋で書かれたのだと思うと感無量でした。先日TV「音楽の旅はるか」で山田一男と檀ふみがここを訪れたので、ごらんになった方もあると思います。
 ウィーンの中心のシュテファン寺院には、有名なオルガンビルダー、ヴァルカーの造ったオルガンの名品があります。例によって聴きに行ったのですが、これは夜7時からとのことで残念でした。辻馬車のたむろする寺院の広場とオペラを結ぶ通りは、ウィーンで最も華やかなケルントナー通りです。正月用の豚の形をした種々のケーキを売り出している店、お年玉の豚の形の小物を並べた屋台が出ています。ウィーンでは豚は幸運を運ぶ神の使いとされているそうです。行き交う人達が全て毛皮のコートを着ているのもウィーンらしい大みそか風景です。寒気の中を街のオルガンのピュアーな音が流れていました。

マルクス墓地にあるモーツァルトの墓
美しき青きドナウ
ハイゲリンシュタットのベートーベンハウス

●ウィーンの紅白「こうもり」

 夜はいよいよスタッツオパー年末恒例の「こうもり」です。日本での「紅白」相当、又はそれ以上のイベントで、ユーロビジョンネットで全世界に放映されます。昨夜以上にきらびやかな人達や雰囲気がロビーに満ちています。
 今夜のウィーンフィルはグシュルバウアーが指揮です。中央やや左寄りの最も良い席であるためか、昨夜より一層音が融和して、ただ素晴しいの一言です。困ったことは、周囲の人達が始めから終りまで腹をかかえて笑っているのに、こちらは笑えず、つられてニコニコ出来る程度です。もっとも第三幕刑務所の場面での看守長フロッシュの道化の所作や、12月31日の日めくりをめくると、32日になる所などは大いに笑えました。喜歌劇というものがこれ程笑うものだと初めて知りました。楽しい気分が溢れ音楽もはずむように響きます。第二幕オルロフスキー公爵邸の舞踏会の場では客とのやりとりで流行の歌をアドリブしたり、乗りに乗って客も演奏者も楽しんでいます。メンバーも皆超一流ですが、特にロザリンデのルチア・ポップ、アデーレのグルベローヴァの出来が素晴らしく、カーテンコールでのシャンパンの乾杯まであっという間に過ぎてしまいました。日本で同じことをしても、落語家が外人の前で語るようなもので、これ程素晴らしい「こうもり」は出来ないのだ、ということがよく分りました。

スタッツオパー年末恒例の「こうもり」

●宮廷舞踏会で年を越す

 11時に「こうもり」がはねると直ぐカイザーバール(宮廷舞踏会)に出席するためホーフブルグ宮へ急ぎます。街のあちこちで子供が投げるカンシャク玉や爆竹の音がしますし、ステファン広場にはウィンナワルツで踊り明かす人々が集り始めています。
 16世紀から20世紀にかけて造られ大帝国の王宮であった宮殿は、かつての栄光の時のようにあかあかと輝き、近衛兵の衣装に槍を持った若者が玄関に並びます。きらびやかな紳士淑女が黒塗りのリムジンで次々到着し、花に飾られシャンデリアにまぶしく輝く白い大理石のホール、赤い繊毬の階段を昇って行きます。招待状には、婦人は長いイブニングガウン、男性はフロックコート又はタキシード、ネクタイは黒か白と指定されており、気おくれするような気品ある華やかさです。あちこちの部屋にオーケストラやブラスバンド、室内楽団や歌手がいて、踊ったり食事をしたり、お酒を飲みながら談笑したり、音楽を聴いたり、音と光の饗宴です。12時が近づくと人々は大広間に集って来て身動きも出来なくなります。
 軽快なポルカが始まり正面の大時計が12時を指すと、「フィーレ、ダンケ、ノイヤーレ」と、新しい年まで生きた喜びを顔中に表わし、誰かれとなし抱き合って喜び合います。バルコンに出るとウィーンの夜空は盛大な花火に覆われ、街中の教会の鐘が打ち鳴らされているのが聴えます。
 宮廷の音楽は次々と入れ代り、明け方の4時まで続きます。映画「会議は踊る」の場面そのまま、子供の頃想ったおとぎ話のお城の舞踏会そのまま、ヨーロッパの貴婦人と踊って迎えたお正月は夢のような想い出です。

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