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「ステレオ芸術」82年12月臨時増刊号

 冬のヨーロッパ  

 音を求めて(5)

 パリ→ミラノ→ウイーン

由井啓之 


●完全な音の楽友協会ホール

 翌元旦、ニューイヤーコンサートの行なわれる楽友協会ホール(ムジークフェラインザール)は、音楽家も音響学者もそろって認める世界最高の音響効果を持つホールです。
 旅で初めてのライプチッヒ型のコンサートホールとしても、期待する所、大です。この型はライプチッヒのゲバントハウスに代表される、長方形の一室よりなるホールで、前方の床にオーケストラが位置するので、舞台や額縁、緞帳はありません。音響工学的に、私にはこの形が最良と思えるのですが、オペラハウスと同様、我が国にはありません。昨年宝塚市に出来たベガホールがこの型のものとして唯一のものかも知れません。
 例によって、「音楽と音響と建築」を調べますと、ブルノ・ワルターは、「ここで初めて指揮するまで、音楽がかくも美しいものであり得ることを考えてもみなかった。まさに私の知る限り最上のホールだ」。カラヤンは「このホールの音は完全である。低音が豊かで、高音の弦にも良い。指揮者に霊感を与える」と言っています。昔から著名な音響学者の研究対象となり、目標となっています。朝比奈隆氏の話では、この音を守るため市条例で現状を一切変更してはいけないことになっているので、椅子やカーテンの修理も難しいとのことです。

ムジークフェラインザールの「ニューイヤーコンサート」

●ニューイヤーコンサート

 ノイヤールコンツァートは、大晦日のジルベスターコンツァートと対になる大イベントです。ラジオ、テレビでライブ中継されるのは勿論、ライブ録音レコードも毎年発売されています。NHK TVでも毎年2月に録画が放映されます。
 ウィーンは第二次大戦に連合軍の爆撃を受けました。ソ連、英、仏、米4ヶ国の占領下で、どん底の悲惨の中にあった時、かろうじて残った楽友協会ホールに生き残った人達が集って、ニューイヤーコンサートを行ったそうです。ウィーンの人々にとって、どれ程大きな力づけになり、慰めとなったことでしょう。それから40年、これ程の熱い想いで開催されるコンサートは他にはないと思われます。
 ホールは案外小さくて、平土間は中央に10人、左右に5人ずつの狭い椅子が前後に30並ぶだけです。左右壁際に5列位の桟敷席と、平土間後方に広い立見席があります。2階周囲の2列程のバルコニーと、オーケストラ後方の客を入れても、2000人にならないと思われます。
 高い天井から下がるビーズ型のシャンデリアと、周囲の壁に立つ16体の黄金の女神、そして正面のオルガンが印象的です。荘厳なホールも今日は色とりどりの花で飾られ観客の晴着に満たされて、楽しい親密な雰囲気で華やいでいます。

●ウィンナワルツとポルカを楽しむ

 開演は11時で、オープニングは「ジプシー男爵」のマーチです。第1音を聞いただけで大きなショックを受けました。もうとてもかなわないという感じです。全体の音、低音、高音全て驚きです。全ての音があざやかに生きて、本当の音はこうだったか、という思いです。画家がキャンバスに次々素晴しい色をデモしてくれている、そんな感じです。中央の席に座れたのも良かったのでしょう。弦の良さも当然ですが管も、特に木管が抜群です。コントラバスはすごいの一言です。6本のコントラバスが何10本にも思える豊かさで観客を包みます。ウンウンと鳴る超低音も、アルコやピチカットの音程もはっきり分ります。正面オルガン下の壁のぎわが、低音ドライブのスイートポイントなのでしょう。
 残響時間は満席で2秒と非常に長いのに、歯切れ良く聴こえます。耳に手をそえて観測してみると、前方音に比して後方からの反射音のレベルが低いこと、反射音がハイ落ちであることが分りましたが、これは初めて経験する特性です。
 ウィンナワルツとポルカ、ポピュラーな曲が次々続きます。いつも真面目なウィーンフィルのメンバーも曲に合せて笑ったり歌ったり。「爆発ポルカ」ではクラッカーを鳴らしたり、シンバルをほうり投げたり楽しんでいます。マゼールが各国語で挨拶しました。日本語は後日テレビで確認したところ、「アデマシテ、オデメトウ」でした。10数曲があっという間に終ってしまいました。
 ドンドンと床を踏み鳴らしての拍手にアンコールはポルカ「うわ気心」。続いてこれ無しでは納まらない「美しく青きドナウ」が始まります。バイオリンの上に乗ったコントラバスのピチカットがブォン、ブォンと波のように押し寄せます。誰が聴いてもドナウの波だと判るのですが、帰国後確認のために聴いたニューイヤーコンサートのレコードでは、説明されないと分らないものでした。1975年版が最も良くてスーパーウーハーがあればそれらしく聞えます。悪い年のレコードでは、ゴツゴツ、ゴロンゴロンと油に汚れた海に浮んだ丸太がコンクリートの岸壁を打っているような音でした。演奏はボスコフスキー最後の指揮となった1979年のが最高に思えました。
 全員がウィーンっ子、しかもベテランを第2バイオリンにおいてリズムをきざませる。他のオーケストラでウィンナワルツのリズムは無理でしょう。観客の手拍子に合せて、マゼールがタクトを振りながら出て来ます。恒例のラデツキーマーチでフィナーレです。隣りのウィーンのおばさんの涙につられて思わずほろりとする素晴らしいコンサートでした。

コンツェルトハウスザールでの「第九」合唱

●コンツェルトハウスで「第九」

 夜は8時からウィーン音楽アカデミーのコンツェルトハウスザールで、アバド指揮ベートーベン「第九」合唱付きです。コンツェルトハウスもライプチッヒ型ですが、ムジークフェラインより大きく2002名です。ガランとした建物なので髄分大きく感じました。席は中央やや前方です。音は良く響いてなかなか良いのですが、世界一のホールの直後だけに、劣る点だけが目につきました。壁面積が広く、1次反射時間が長いので高音が変に響き過ぎの感じです。弦はこれで仲々よい所もありますが低音は日本のホール並です。コントラバスを9本も使っているのに貧弱です。第4楽章の頭のスーパーウーハーのテストに使うグランキャスターは全く聴えませんでした。オーケストラの後に200人位のコーラス、4人のソロは一番後のバルコニーに立ちます。演奏はさすがウィーンフィルで大したものです。コーラスもウィーンのおじさんおばさんは違います。ソロはソプラノのマーガレット・プライスの出来が抜群でした。
 3日続けて同じウィーンフィルを3つの違ったホールで聴きました。ホール毎に楽器の数や、特に配置が異っていたことは大事なことだと思います。演奏の不便を忍んでも、音を良くしたいためと思います。ホールが良い上に、なおこのような研究があってあの素晴らしい音楽が出来るのでしょう。

●おわりに

 短い旅でしたが、音楽やオーディオについて多くのことを考え、得ることが出来ました。最後に、以後の私のことで変ったことを書いておきますと、音楽やオーディオに関して、やたらと他の人に何かしてあげたくなったこと。音楽会に行かなくなったこと。自分のシステムをまとめ直していること。レコードをよく聴くようになったこと等です。何か反対に思える行動もありますが、人生と音楽、オーディオについて、自分としては大いに確かなものをつかめた様に思っています。またの機会にこれ等をお話し出来たらと思っています。

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